2021/8/5
阻害要因により進歩性あり
平成30年(2018年)10月11日知財高裁3部判決
平成29年(行ケ)第10160号 審決取消請求事件
原告:エルメッドエーザイ
被告:大日本住友製薬
本件は、無効審判(無効2016-800114)に関するものであって、進歩性を有するなどとして無効審判請求が棄却された審決が裁判所においても認容された事件です。争点はいくつか存在しますが、進歩性の判断において、阻害要因から進歩性ありとされたところが注目されると思います。
最高裁HP:http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail7?id=88048
(1)本件特許
本件特許(特許5689192号)は、発明の名称を「光安定性の向上した組成物」とするものであって、審理対象である、審判において訂正された請求項1(本件訂正発明1)は下記の通りです。
【請求項1】 (a)ベシル酸アムロジピン,(b)酸化鉄,(c)炭酸カルシウム及び結晶セルロースからなる群より選ばれる少なくとも一つの賦形剤,並びに(d)デンプンを含有し,デンプンの含有量が30重量%以下であり,かつ被覆層を有しない経口固形組成物(但し,マンニトールを含まない組成物である)。
(2)裁判所の判断
裁判所は、本件訂正発明1の進歩性とサポート要件については、概ね次のように判示し、特許庁の審決(請求棄却)を支持しました。
①本件訂正発明1の進歩性
甲1は,ノルバスク錠2.5mg及び同5mgの医薬品インタビューフォームの抜粋である。
そして,甲1には,これらの製剤はフィルムコート錠であり,有効成分としてベシル酸アムロジピンを,添加物として結晶セルロース及びカルボキシメチルスターチナトリウムをそれぞれ含有するものの,マンニトールを含有していない(医薬品インタビューフォームという文書の性質上,当該医薬品に添加物として含有されている物質は,その旨が明記されると解されるから,当業者は,医薬品インタビューフォームに有効成分又は添加物として記載されていない物質は,当該医薬品に含有されていないと理解するものというべきである。)ことが記載されているから,甲1には,次の発明(以下「甲1発明」という。)が記載されていると認めるのが相当である。
「ベシル酸アムロジピン,結晶セルロース,カルボキシメチルスターチナトリウムを含有するが,マンニトールを含有しない
フィルムコート錠」
ア 本件訂正発明1と甲1発明との対比
甲1発明の錠剤は,経口投与されるものであるから,経口固形組成物に該当する。
したがって,本件訂正発明1と甲1発明との一致点及び相違点は,次のとおりと認めるのが相当である。
<一致点>
ベシル酸アムロジピンと結晶セルロースを含有する経口固形組成物であって,マンニトールを含有しない点。
<相違点1>
本件訂正発明1は,酸化鉄を含有するのに対し,甲1発明は,酸化鉄を含有しない点。
<相違点2>
本件訂正発明1は,デンプンを含有するのに対し,甲1発明は,デンプンを含有せず,カルボキシメチルスターチナトリウムを含有する点。
<相違点3>
本件訂正発明1は,デンプンの含有量が30重量%以下であるのに対し,甲1発明は,そのような限定を有していない点。
<相違点4>
本件訂正発明1は,被覆層を有しない経口固形組成物であるのに対し,甲1発明は,被覆層(フィルムコート部分)を有する点。
イ 相違点1について
医薬品において,着色剤は,視覚的に医薬品の外観を変化させて,識別性を高めることなどを主目的として使用される添加物であるところ,酸化鉄は,医薬品の着色剤としてもよく知られた物質であるから,これを着色剤として医薬品に含有させることは,本件特許の出願日当時の周知慣用技術であったと認めるのが相当である。
したがって,医薬品である甲1発明に係る組成物に酸化鉄を含有させること自体は,当業者が容易に想到できるものというべきである。
ウ 相違点2及び3について
(ア)デンプン及びカルボキシメチルスターチナトリウムが,いずれも医薬品において,賦形剤,結合剤及び崩壊剤などとして一般的に用いられる添加物であることは,本件特許の出願日当時の技術常識であったと認めるのが相当である。
(イ)また,「新・薬剤学総論(改訂第3版)」には,デンプンを錠剤,丸剤などにおける結合剤として用いる場合の常用濃度は4~10%であること,崩壊剤として用いる場合は製剤の10~30%とすることが記載されており,「Remington’s Pharmaceutical Sciences 18」には,デンプンを崩壊剤として用いる場合,その添加量は5%が推奨され,より早い崩壊が望まれる場合には15%に増量してもよいこと記載がされている。
そうすると,医薬品である経口固形組成物にデンプンを30重量%以下の含有量で配合することは,本件特許の出願日当時の技術常識であったと認められる。
(ウ)以上によれば,医薬品である甲1発明に係る組成物につき,カルボキシメチルスターチナトリウムに代えて,デンプンを30重量%以下の含有量で配合することは,当業者が容易に想到できるものというべきである。
エ 相違点4について
(ア)甲2に記載されているとおり,酸化鉄は,光に対して不安定な薬物の安定性を高める成分であることが知られているとしても,甲1発明につき,相違点4に係る構成を備えるものとすることは,当業者が容易に想到できたものとはいえない。その理由は次のとおりである。
(イ)甲1には,ベシル酸アムロジピンの固体状態における安定性に関し,「室内散光下の保存において,含量の低下はほとんど認められなかったものの,光曝表面は黄色に着色し,わずかに分解物が生成した。」との記載とともに,固体状態における安定性と題する表において,室内散光(500ルクス)の条件下で無色透明のガラスシャーレに6か月間保存したところ,残存率は98.3~101.0%,光曝表面がわずかに黄色化し,わずかに分解物Iのスポットが認められたことが記載されている(甲1の11及び12頁)。
これに対し,甲1では割愛されている2003年8月付けのノルバスク錠に係る医薬品インタビューフォームの15頁には,製剤の安定性に関し,光に対する苛酷試験につき,室内散光(500ルクス)の条件下で無色透明のガラスシャーレに6か月間保存したところ,外観に変化はなく,含量は2.5mg錠では98.5~99.9%,5mg錠では97.6~101.5%,分解物のスポットは認められなかったと記載されている(甲33)。一方,当該医薬品インタビューフォームの16頁には,製剤の分割後の安定性に関し,白色蛍光灯(1000ルクス・24時間/日)の条件下で無色透明のガラスシャーレに60日保存したところ,分割面がわずかに淡黄色に着色し,含量は103.5~103.9%,分解物のスポットは認められなかったと記載されている(甲1,33)。
(ウ)錠剤のフィルムコーティングに関し,「製剤学(改訂第3版)」には,錠剤のコーティングの目的は,①外観の改善と商品価値の向上,②苦みや悪臭などのマスキング,③主薬の安定化,④腸溶化や徐放化による薬剤の吸収部位の調節,⑤薬剤からの消化管粘膜の保護,⑥薬効の発現の調節などにあるとの記載がある。
また,「経口投与製剤の処方設計」には,光によって外観変化,含量低下,類縁物質の増加が認められる場合には,フィルムコーティングあるいは遮光包装が考えられるが,開封後の保証まで考慮すると製剤処方で耐候性の機能を付与することが望ましいとの記載がある。
上記各事項が市販の書籍に記載されていることや当該各書籍の発行時期に鑑みれば,これらの事項は本件特許の出願日当時における当業者の技術常識であったと認められる。
(エ)そうすると,甲1及び甲33(刊行物に接した当業者が把握する事項を認定する際には,当該刊行物全体の記載内容を参酌すべきである。)の記載に接した当業者は,上記(1)ウのアムロジピンに関する周知事項及び上記(ウ)の技術常識に鑑みれば,アムロジピン原体は,光により着色し,外観変化と分解物の生成を生じ得るものであるところ,甲1記載のノルバスク錠では,フィルムコーティングを施すことで,光に起因する着色による外観変化と分解物生成を防止していることが理解できる。また,ノルバスク錠の分割後の安定性に関し,分割面がわずかに淡黄色に着色したとの記載は,フィルムコーティング錠を分割すると,分割面にはフィルムコーティングが存在しないため,その部分のみが着色してしまうことを示すものと理解するというべきである。
さらに,上記(1)ウにおいて認定したとおり,アムロジピンが苦みを有する成分であることは,本件特許の出願日当時における周知の事項であったから,上記(ウ)の技術常識を踏まえると,甲1記載のノルバスク錠が備えるフィルムコーティングは,苦みをマスキングする役割も果たしていることが理解できる。
加えて,フィルムコーティングを除去すると,薬剤の溶出挙動が変化する可能性があることは明らかである(なお,特開2003-104888号公報(甲24)の段落【0004】には,「ジヒドロピリジン誘導体は,光に対する安定性が低く,水性溶媒への溶解度が非常に低いために経口投与の場合には消化管液中で薬物が製剤から溶出するような工夫が必要である。」との記載がある。)。
(オ)原告が主張するとおり,医薬品の服用性,取扱いやすさや,生産性,コストといった観点からより良い剤形を模索することは,当業者であれば当然に検討すべき技術的事項であって,実際にも,本件特許の出願日当時において,我が国で少なくとも22品目について口腔内崩壊錠の医薬品が販売されていたとの事情が認められる。
しかし,上記(イ)~(エ)において検討したところによれば,甲1発明のベシル酸アムロジピンを含有するフィルムコート錠を,敢えてフィルムコートを有しない経口固形組成物に変更することには,光による変色・分解物の発生のおそれ,苦み,薬剤の溶出挙動の変化等の観点から阻害要因があるというべきである。
以上によれば,本件訂正発明1は,甲1及び甲2<特開2000-191516号公報>に記載された発明並びに本件特許の出願日当時の技術常識に基づき,当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない。
②サポート要件適合性についての判断の誤りについて
(1)原告は,本件明細書の記載に接した当業者が,マンニトールが添加されていない場合においても,アムロジピンに酸化鉄を配合することで,光安定化したアムロジピン含有経口固形組成物が得られることを認識できるとは到底いえないから,本件特許はサポート要件に適合しないと主張する。
(2)そこで検討するに,特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
(3)本件についてみると,本件訂正発明の課題は,アムロジピン又はその塩の光による変色及び分解を簡便に防止し,光安定化した経口固形組成物を提供することであるところ,本件訂正発明はマンニトールを含有しない組成物に限定されている。
確かに,マンニトールは,本件明細書において,服用性の観点から口腔内崩壊型製剤に添加することが好ましいとされた水溶性賦形剤である,水溶性糖アルコール,糖類,甘味を有するアミノ酸類(【0022】)のうちの,水溶性糖アルコールの一つとして,ソルビトール,マルチトール,還元澱粉糖化物,キシリトール,還元パラチノース及びエリスリトールなどとともに挙げられたもので,その中でも,特に好ましいものとされている(【0023】)。その一方で,本件明細書には,課題を解決するための手段として,アムロジピン又はその塩に酸化鉄を配合することにより,被覆層を必要とすることなく非常に簡便に光安定化された経口医薬組成物が得られる旨が記載されているところ(【0012】),光安定化効果に対するマンニトールの作用については何ら記載がなく,かえって,マンニトールは実質的に本件訂正発明の効果に影響を与えない添加剤として位置付けられている(【0027】)。また,ベシル酸アムロジピンに酸化鉄を配合することによる薬物の光安定化効果に,マンニトールが何らかの影響を与えるとの技術常識を認めるに足りる的確な証拠もない。
そうすると,本件明細書に接した当業者は,本件明細書の実施例の全てにおいて,マンニトールを含む組成物のみが示されているとしても(【0033】表1),それは服用性向上のために含有されているものにすぎず,ベシル酸アムロジピンに酸化鉄を配合した組成物であれば,マンニトールを含まない組成物であっても光安定化効果が発揮されると理解すると認めるのが相当である。また,炭酸カルシウム,結晶セルロース及びデンプンについても,本件明細書には任意成分である賦形剤として記載されているところ(【0024】,【0027】),当該各物質が,ベシル酸アムロジピンと酸化鉄とを含有する組成物における光安定化効果に対し,何らかの影響を与えるものであるとの技術常識が存在することを認めるに足りる証拠も見当たらない。
したがって,ベシル酸アムロジピン及び酸化鉄とともに,炭酸カルシウム,結晶セルロース及びデンプンを含む本件訂正発明も,当業者が発明の課題を解決できると認識可能な範囲内のものであるといえるから,上記原告の主張は採用することができない。
(4)また,原告は,本件原出願の審査過程における被告の主張を問題とするが,本件出願と本件原出願とは別個のものであるから,本件原出願の審査過程における被告の主張が本件特許のサポート要件適合性を左右するとはいえない。
(5)以上によれば,原告主張の取消事由4<サポート要件違反>は理由がない。
(3)コメント
①本件は、主に、阻害要因により、本件発明の進歩性が認められた事件に関するものです。
発明特定事項の構成自体が容易想到でなければ、当然ながら進歩性は認められますが、そうでない場合であっても、顕著な効果(有利な効果)や阻害要因でもあれば進歩性が認められます。成熟した技術分野においては特に、構成自体が容易想到でないと認められることは少ないように思われ、どうしても効果勝負などになるかと思います。そして、阻害要因より、顕著な効果等の効果面から進歩性が肯定されることの方が多いように感じます。それ故、本事件は、阻害要因から進歩性が認められていますので、参考になる事件かと思います。
②本件発明では、「被覆層を有しない」、即ちフィルムコーティングなどされていないことを発明特定事項としているところがポイントかと思います。本件発明では、薬物の光安定性を酸化鉄を含むことにより達成し、そのため光安定性を確保するためのフィルムコーティングなどは不要であるとするものであるところ、引用発明(甲1発明)は、フィルムコーティング(被覆層)により光安定性を担保しているため、それを除いて本件発明の構成(被覆層を有しない)に導こうとすると、光安定性を保てなくなってしまうことから阻害要因が認められたと思います。しかも、引用発明では、フィルムコーティングを除くと、薬物の苦みが惹起されるという好ましくない状況になることも阻害要因の認定を後押ししたと思われます。
なお、本件発明と甲1発明との相違点として、酸化鉄の有無(本件発明あり、甲1発明なし)があるところ、酸化鉄について、本件発明では薬物の光安定性を担保するための遮光剤として含まれていると思われますが、着色剤としての用途もあり、本判決では、医薬品に着色剤として酸化鉄を含有させることは周知慣用技術と認定し、別用途の観点から当該相違点は容易想到と判断しています。この点も少し興味深いところです。
③本事件では、サポート要件についても争点になっています。
問題は、本件特許明細書の全ての実施例がマンニトールを含有する製剤であるにも関わらず、クレームでは「マンニトールを含まない」と規定されているところです。
当該問題について、本判決では、マンニトールは光安定化効果に影響しないものであるから、実施例の記載とクレーム内容とが整合しないことは問題ないとしました。これはこれで良いのではないかと思います。
④通常、進歩性を高めていくためには、構成要件を加え、先行発明との差別化をより鮮明にしていくと思います。しかし、本件発明では、逆に「被覆層を有しない」や「マンニトールを含まない」と構成要件を消極的に記載することにより進歩性を確保しています。
構成要件を加えて先行発明からの進歩性を主張するのが良いのか、構成要件を消極的に記載して先行発明からの進歩性を主張するのが良いのかは、結局のところ、問題とされる先行発明の開示内容と当該発明との関係によって決まってくるのではないかと思います。本件発明では、「被覆層を含まない」と消極的に規定することにより、阻害要因の判断を獲得しています。「マンニトールを含まない」については、甲1発明でも同様に含んでいないので、甲1発明からの進歩性確保には有益ではありませんが、ひょっとすると別の先行発明から阻害要因の判断を獲得するために導入された消極的構成要件かもしれません。
尤も、今回の本件発明の場合、被覆層を有する態様のものや、マンニトールを含む態様のものは、明らかに権利範囲外になると思われますので、その態様を採用することが簡単であれば、特許回避は容易になると思われます。均等論についても恐らく適用されがたいと思います(意識的限定など)。
以上、ご参考になれば幸いです