2022/10/26

管轄違いによる裁判所の移送事件

令和4年(2022年)9月30日大阪高裁8民事部判決
令和4年(ネ)第1273号 損害賠償請求控訴事件(原審 神戸地裁平成31年(ワ)第488号)

原告:医療法人再生未来
被告:公益財団法人神戸医療産業都市推進機構

本件は、原審の判決を下した神戸地裁の裁判管轄をその控訴審である大阪高裁が否定し、原判決を取り消すと共に、正しい裁判所とされる大阪地裁に移送するとの判決が下された事件に関するものです。

[1]本事件の概要
本件は、免役細胞(マクロファージ)を活性化させるGcMAF(ジーシーマフ)と呼ばれる物質を合成し大量生産する方法を開発するため、被控訴人に研究を委託する契約(本件契約)を締結した控訴人が、被控訴人の理事である研究者(以下「本件研究者」という。)により発明された活性型GcMAFを合成する新たな方法(本件発明)が、本件契約に基づく研究(本件受託研究)により得られた成果物であることを前提として、本件研究者個人が本件発明を単独で特許出願したことが、被控訴人による本件契約上の協議義務の違反等に当たる旨主張して、被控訴人に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、本件発明に係る特許無効審判請求に要した費用等の支払を求める事案。
原審は、被控訴人に控訴人主張に係る本件契約上の協議義務違反等の債務不履行があるとは認められないとして、控訴人の請求を棄却。控訴人はこれを不服として控訴。なお、上記出願後、本件発明に係る特許を受ける権利は被控訴人に承継されて特許出願人の名義は被控訴人に変更され、原審審理中に本件発明に係る特許権が被控訴人を特許権者として設定登録された。

[2]裁判所の判断
1 原審における審理経過及び判断内容は、概略以下の通り。
(1) 原審は、本件訴訟における争点を、①本件契約(14条)の内容と被控訴人の負う協議義務、②控訴人には被控訴人との共同研究に参加しなかったという債務不履行があるため、本件契約14条に基づく権利行使が信義則に反するか、③控訴人に生じた損害の有無、損害額と整理した。
(2) 被控訴人は、争点①において、本件発明が本件契約に基づく本件受託研究の成果に含まれない旨主張した。すなわち、本件受託研究は、被控訴人がGcMAFを大量合成する手法を網羅的に探索する業務を請け負ったのではなく、控訴人関連会社の役員が保有する知見をも参考に、2ステップ(①ヒトの血液を用いず、培養細胞を用いて不活性型Gc-Proteinを合成、②これを構成する二つの糖鎖(Gal(ガラクトース)及びSA(シアル酸))を、酵素の作用により切断)を経る方法によって活性型GcMAFを生成する方法を研究するというものであるのに対し、本件発明は、被控訴人の本件研究者が控訴人関連会社の役員が保有する知見を使用せずに独自に研究を続行した結果、CHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣由来細胞)を特殊な培養条件下で合成し、酵素処理を要することなく1ステップで活性型GcMAFを生成することを可能としたものであるから、本件発明は本件受託研究の成果に含まれず、本件契約14条に基づく権利義務関係が問題とされる余地はない旨主張した。
(3) 原審は、争点①について、本件契約14条2項については、「被控訴人は、前項の知的財産権を被控訴人が承継した場合には、控訴人に対して相当の対価と引換えにその全部を譲渡するものとする。」との内容が合意されたものと認定した上で、同条1項に基づく被控訴人の協議義務の内容は、上記認定を前提として控訴人と協議を尽くす必要があったとし、被控訴人が同協議義務を尽くしたか否かを判断する前提として、本件受託研究が、2ステップ(①ヒトの血液を用いず、培養細胞を用いて不活性型Gc-Proteinを合成、②これを構成する二つの糖鎖(Gal(ガラクトース)及びSA(シアル酸))を、酵素の作用により切断)を経る方法によって活性型GcMAFを生成する方法を研究するというものか、又は、本件発明のように、特定の細胞を特殊な培養条件下で合成し、酵素処理を要することなく1ステップで活性型GcMAFを生成する方法に関する研究をも含むものかといった点について、本件受託研究の範囲が2ステップで酵素処理を行うGcMAFの合成方法の点に限られるとはいえないから、1ステップで活性型GcMAFが合成する方法に係る本件発明が本件受託研究の成果でないということはできないとする一方、本件発明について控訴人と被控訴人との間で十分協議がされていると認められるから、被控訴人に、本件契約14条1項及び2項の協議義務違反があったとは認められないとして、控訴人の請求を棄却した。
2 民訴法6条1項は、「特許権」「に関する訴え」については、東京地方裁判所又は大阪地方裁判所の管轄に専属する旨規定し、同条3項本文は、東京地方裁判所又は大阪地方裁判所が第1審として審理した「特許権」に関する訴え」についての終局判決についての控訴は東京高等裁判所の管轄に専属する旨規定し、さらに知的財産高等裁判所設置法2条が、上記訴えは、同法に基づき東京高等裁判所に特別の支部として設置された知的財産高等裁判所が取り扱う旨規定している。上記各規定の趣旨は、「特許権」「に関する訴え」の審理には、知的財産関係訴訟の中でも特に高度の専門技術的事項についての理解が不可欠であり、その審理において特殊なノウハウが必要となることから、その審理の充実及び迅速化のためには、第1審については、技術の専門家である調査官を配置し、知的財産権専門部を設けて専門的処理態勢を整備している東京地方裁判所又は大阪地方裁判所の管轄に専属させることが適当であり、控訴審については、同じく技術の専門家である調査官を配置して専門的処理態勢を整備して特別の支部として設置した知的財産高等裁判所の管轄に専属させることが適当と解されたことにあると考えられる。
そして、このような趣旨に加え、民訴法6条1項が「特許権」「に基づく訴え」とせず「特許権」「に関する訴え」として、広い解釈を許容する規定ぶりにしていることも考慮すると、「特許権」「に関する訴え」には、特許権そのものでなくとも特許権の専用実施権や通常実施権さらには特許を受ける権利に関する訴えも含んで解されるべきであり、また、その訴えには、前記権利が訴訟物の内容をなす場合はもちろん、そうでなくとも、訴訟物又は請求原因に関係し、その審理において専門技術的な事項の理解が必要となることが類型的抽象的に想定される場合も含まれるものと解すべきである。
なお、専属管轄の有無が訴え提起時を標準として画一的に決せられるべきこと(民訴法15条)からすると、「特許権」「に関する訴え」該当性の判断は、訴状の記載に基づく類型的抽象的な判断によってせざるを得ず、その場合には、実際には専門技術的事項が審理対象とならない訴訟までが「特許権」「に関する訴え」に含まれる可能性が生じるが、民訴法20条の2第1項は、「特許権」「に関する訴え」の中には、その審理に専門技術性を要しないものがあることを考慮して、東京地方裁判所又は大阪地方裁判所において、当該訴訟が同法6条1項の規定によりその管轄に専属する場合においても、当該訴訟において審理すべき専門技術的事項を欠くことその他の事情により著しい損害又は遅滞を避けるため必要があると認めるときは、管轄の一般原則により管轄が認められる他の地方裁判所に移送をすることができる旨規定しているのであるから、この点からも、上記「特許権」「に関する訴え」についての解釈を採用するのが相当である。
3 そこで、以上に基づき本件についてみると、本件訴状の記載によれば、本件が、本件契約の債務不履行に基づく損害賠償の訴えとして提起されたものであることは明らかであるが、訴状によって控訴人が主張する債務不履行に基づく損害賠償請求は、本件発明が、本件契約に基づく研究(本件受託研究)により得られた成果物であるのに、被控訴人がこれを本件研究者個人の発明であり控訴人と共同出願することは出来ないとして、本件研究者単独で特許出願した行為が、本件契約14条1項に規定する「被控訴人は、本件研究の実施に伴い発明等が生じたとき・・・は、控訴人に通知の上、当該発明等に係る知的財産権の取扱いについて控訴人及び被控訴人が協議し決定するものとする。」との協議義務に違反し、また、控訴人が権利の承継について希望していたにもかかわらず、被控訴人が控訴人と協議を行うことなく本件研究者による特許出願を強行した行為が、本件契約14条2項に規定する「被控訴人は、前項の知的財産権を控訴人が承継を希望した場合には、控訴人に対して相当の対価と引き換えにその全部を譲渡するものとする。」との義務にも違反し、その結果、控訴人が本件発明に係る特許権を取得できなくなったことで余儀なくされた出捐をもって損害と主張するものである。
ところで、前者の本件契約14条1項の規定は「知的財産権」について規定しているが、本件では、未だ特許がされていない特許出願された段階の本件発明の取り扱いについて争われているから、本件発明に係る「特許を受ける権利」が同項にいう「知的財産権」に含まれることを前提に同項違反が主張されているものと解されるし、また、後者の本件契約14条2項の規定関係についても、ここで控訴人が主張している権利は、上記同様、本件発明に係る特許を受ける権利と解されるから、ここでも同権利が同項にいう「知的財産権」に含まれることを前提に同項違反が主張されているものと解されるのであって、いずれも、特許を受ける権利が本件の請求原因に関係しているといえる。
そして、控訴人は、本件発明に係る特許権を取得できなくなったことで余儀なくされた出捐をもって、上記各条項違反を理由とする債務不履行により生じた損害と主張し、その賠償を被控訴人に求めているのであるが、本件訴状の記載によれば、被控訴人は、本件発明に係る特許を受ける権利が本件受託研究により得られた成果物でないことを理由として、本件研究者のした特許出願が本件契約14条1項、2項の債務に違反しないと争っていることが認められるから、本件訴状からうかがえる債務不履行に基づく損害賠償請求の成否は、本件発明が本件受託研究により得られた成果物であるか否かが争点として判断されるべきことが見込まれその判断のためには、本件発明が本件受託研究の成果物に含まれるかという専門技術的事項に及ぶ判断をすることが避けられないものと考えられる。
したがって、本件は、債務不履行に基づく損害賠償請求訴訟として訴訟提起された事件であるが、その訴状の記載からはその争点が、特許を受ける権利に関する契約条項違反ということで特許を受ける権利が請求原因に関係しているといえるし、その判断のためには専門技術的な事項の理解が必要となることが類型的抽象的に想定されることから、本件は「特許権」「に関する訴え」に含まれると解するのが相当である。
4 そうすると、大阪府内に主たる事務所を有する控訴人と神戸市内に主たる事務所を有する被控訴人との間における、控訴人の被控訴人に対する債務不履行の損害賠償請求である本件は、管轄の一般原則によれば債務の義務履行地である控訴人の主たる事務所の所在地を管轄する大阪地方裁判所又は被控訴人の主たる事務所の所在地を管轄する神戸地方裁判所が管轄権を有すべき場合であるから本件訴訟は、民訴法6条1項2号により大阪地方裁判所の管轄に専属するというべきであって、神戸地方裁判所において言い渡された原判決は管轄違いの判決であって、取消しを免れない。

[3]コメント
①本事件は、原審判決が裁判管轄違いのものであると判断され、原審の判断が正しいか否かに拘らず、原判決は取り消され、審理のやり直しのため、一審を正しい裁判所とされる大阪地裁に移送する判決が下されたものです。本事件のように、結論が仮に正しくとも、裁判管轄が誤っていたという、いわば形式的な違反で原審判決は、取り消されます。
特許権等に関する訴えについては、審理対象に専門技術的な事項の理解が必須であることが多いこと、またその判断を迅速正確に行う必要性から、平成8年(1996年)の民訴法改正で、東日本の地方裁判所が管轄権を有する事件は、知財専門部を有する東京地裁が、西日本の地方裁判所が管轄権を有する事件は、同じく知財専門部を有する大阪地裁が、それぞれ一審の専属管轄となりました(民訴法6条1項)。そして、その控訴審は、東京高裁(その中の知財高裁)が一手に担うことになりました(同6条3項)。なお、意匠権や商標権等に関する訴えについての管轄は、一般原則通りですが、特許権等と同様に東京地裁や大阪地裁にも提起できるようになっています(同法6条の2)。
ここで、当該専属管轄は、「特許権等に関する訴え」ですから、本判決でも述べられている通り、「特許権等に基づく訴え」ではなく、実用新案権はもとより、特許権の専用実施権や通常実施権、特許を受ける権利なども含まれます。本事件では、特許を受ける権利について事項が問題となっています。
なお、特許権等に関する訴えで、東京地裁ないし大阪地裁に管轄しうる事件であっても、専門技術的事項が審理対象ではない場合があることなどを考慮し、民訴法では、一般原則に従う地方裁判所に移送することができる旨を規定されています(民訴法20条の2第1項)。
②専門技術的事項について、特許権の侵害訴訟(差止請求や損害賠償請求など)における特許発明の技術的範囲の画定とイ号への充足性判断が一般的かと思われますが、専門技術的事項を判断する場面はそれのみではありません。本事件では、本件受託研究の成果物が本件発明に含まれるかどうかの判断が、専門技術的事項とされました。
本事件は、契約の債務不履行に基づく損害賠償の訴えですが、特許を受ける権利が本件の請求原因に関係していること、また、かかる債務不履行に基づく損害賠償請求の成否は、本件発明が本件受託研究により得られた成果物であるか否かが争点として判断されるべきことが見込まれ、その判断のためには、本件発明が本件受託研究の成果物に含まれるかという専門技術的事項に及ぶ判断をすることが避けられないとの判断のもと、本件は「特許権等に関する訴え」に含まれると解するのが相当とし、大阪高裁は、原審を取り消すと共に、本件の専属管轄である大阪地裁に移送する判決を下しました。
③日本においては、知財に関する一審専属管轄は、東京地裁と大阪地裁の2か所のみで、いずれの裁判所にも係属させることができる場合、いずれに係属させても結論に大きな違いはないのではないでしょうか。勿論、裁判官の過去の判決例を見て、原告側に有利な判断を示す可能性が高いとか(但し、どの部(裁判官の構成)に係属するか不明かもしれず(特に東京地裁)、そうするとあまり意味がない)、裁判所に配属されている技術調査員の顔ぶれなども考慮する必要があるかもしれませんが・・。
一方、米国では、控訴審の高裁は、日本と同様に、連邦巡回控訴裁判所(CAFC: Court of Appeals for the Federal Circuit、ワシントンDC)の一か所ですが、一審はいくつかの連邦地裁から選ぶことができる可能性があり、どの連邦地裁を選ぶか、法廷戦術上重要であり、訴訟提起に先立ち、通常最初に行われる検討項目の一つとされていると思います。いわゆるフォーラム・ショッピングと言われるものです。なお、このフォーラム・ショッピングに関して、米国連邦最高裁は2017年5月22日、TC Heartland LLC v. Kraft Food Brands Grp. LLC事件判決において、裁判管轄を修正(フォーラム・ショッピングを制限)する判決が下されました。この判決は、原告の特許権者側に有利な判決を出すことで知られるテキサス東部地区連邦地裁等に集中する現在の特許訴訟の傾向に影響を及ぼすかもしれないと言われています(詳細省略)。

以上、ご参考になれば幸いです。