2021/8/5

再び結晶多形の特許性

平成30年(2018年)11月21日知財高裁4部判決
平成29年(行ケ)第10196号 審決取消請求事件

 

原告:メルク・シャープ・アンド・ドームほか

被告:特許庁長官

本件は、結晶形をクレームする特許出願(特願2014-518879号)につき、その特許性を否定(進歩性違反)する、拒絶査定不服審判(不服2016-15132号)の審決が知財高裁でも支持された事件に関するものです。

最高裁HP:http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail7?id=88131

 

(1)本件特許
本願(特願2014-518879)は、発明の名称を「ジペプチジルペプチダーゼ―IV阻害剤の新規結晶形」とするものであって、拒絶査定不服審判の請求と共に補正された請求項1は、下記の通りです。

【請求項1】
10.3±0.1 2θ,12.7±0.1 2θ,14.6±0.1 2θ,16.1±0.1 2θ,17.8±0.1 2θ,19.2±0.1
2θ,22.2±0.1 2θ,24.1±0.1 2θおよび26.9±0.1 2θからなる群より選択される少なくとも4つのピークを粉末X線回折パターンに有することを特徴とする,化合物Iの結晶質(2R,3S,5R)-2-(2,5-ジフルオロフェニル)-5-[2-(メチルスルホニル)-2,6-ジヒドロピロロ[3,4-c]ピラゾール-5(4H)-イル]テトラヒドロ-2H-ピラン-3-アミン(形I)。

【化1】

(2)特許庁の審決要旨

本願発明は,本願の優先日前に頒布された刊行物である国際公開第2010/056708号パンフレット(刊行物1。原文甲1,訳文特表2012-508746号公報,原文及び訳文の対応表甲1の2)に記載された発明(「引用発明)及び技術常識に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
本件審決は,下記のとおり,刊行物1に記載された発明として引用発明,本願発明と引用発明との一致点及び相違点を認定した上で,①本願の優先日当時,一般に,医薬化合物については,安定性,純度,扱いやすさ等の観点において結晶性の物質が優れていることから,その物質を結晶化することについては強い動機付けがあり,医薬化合物が結晶で得られる条件を検討することは,当業者がごく普通に行うことであり,また,結晶化の条件により得られる結晶が異なることがあることも,よく知られていることからすると,化合物Pについても,当業者が結晶を得られる条件を検討したり,得られた結晶について分析することに十分な動機付けがある,②本願発明の形Iの結晶質の化合物Pを得るために本願明細書が開示した方法は,当業者が通常採用しないような手法を用いているものではなく,特殊な条件設定が必要であるというものでもないから,形Iの結晶質の化合物Pは,当業者が通常なし得る範囲の試行錯誤により,例えば引用発明の引用化合物(化合物P)の結晶を得る何れかの段階において再結晶の工程を置き換える等により,得られた結果物である結晶に過ぎない,③結晶性が期待される医薬化合物の分析のために,X線粉末回折を行うことは,通常のことである,④本願発明の形Iの結晶質の化合物Pは,刊行物1により開示された化合物Pについて,結晶を得ることを意図し,酢酸エチルに溶解及び/又は懸濁させて,結晶化させるという,当業者が通常採用する手法を採用して,諸条件を検討したり,得られた結晶について分析することにより得られた結果物である結晶に過ぎないものであるから,引用発明において,相違点に係る本願発明の構成を備えたものとすることは,当業者が容易に想到し得ることである,⑤本願明細書の【0007】,【0019】及び【0033】の記載は,本願明細書に記載された結晶形の形I~形IVの,何れであるかを特定して記載したものではなく,一方,形Iについて特定した記載は,「13℃より上で最も安定な相として形Iを有する」(【0070】)というものであり,形Iの安定性が,通常の結晶から予測し得る範囲を超える顕著なものであるとまで認めることはできないから,本願発明の形Iの結晶質の化合物Pの作用効果は,格別顕著なものとまでいうことはできない旨判断し,本願発明の進歩性を否定した。
(引用発明)
(2R,3S,5R)-2-(2,5-ジフルオロフェニル)-5-[2-(メチルスルホニル)-2,6-ジヒドロピロロ[3,4-c]ピラゾール-5(4H)-イル]テトラヒドロ-2H-ピラン-3-アミンの結晶(以下,引用発明の化合物を「化合物P」又は「引用化合物」という。)。
(一致点)
結晶質の化合物Pである点。
(相違点)
本願発明においては,結晶質の化合物Pが,「10.3±0.1 2θ,12.7±0.1 2θ,14.6±0.1 2θ,16.1±0.1 2θ,17.8±0.1 2θ,19.2±0.1 2θ,22.2±0.1 2θ,24.1±0.1 2θおよび26.9±0.1 2θからなる群より選択される少なくとも4つのピークを粉末X線回折パターンに有すること」を特徴とする「形I」のものであることが,特定されているのに対し,引用発明においてそのように特定されていない点。

 

(2)裁判所の判断

裁判所は、刊行物1の実施例1の「淡褐色の固体」は結晶(結晶質)と認定した上で、本願発明(クレームされた結晶)は刊行物1と技術常識から容易想到と判示し、特許庁の審決を支持しました。

1 相違点の容易想到性の判断の誤りについて

ア 本願の優先日当時の技術常識について(医薬化合物の結晶化に係る技術常識)

本願の優先日(平成23年6月29日)当時,①結晶性製品は一般に取扱い及び製剤化が容易であるため,医薬品原薬の多くは最終工程において結晶状態として製造され,また,医薬品においては,結晶多形が安定性,溶解性,バイオアベイラビリティに影響を及ぼし得ることから,医薬品開発においては,医薬品原薬を恒常的に安定製造するための結晶化条件の最適化の検討が必要であるとともに,結晶多形の最適化ための結晶多形の探索ないし多形スクリーニングが必要であること,②結晶多形の存在及びその分析のために,X線粉末回折が通常用いられること,③酢酸エチルは,結晶化溶媒として,安全性が高く,最も普通に使用される溶媒の一つであることは,技術常識であったものと認められる。

イ 相違点の容易想到性の有無について
ア 刊行物1には,実施例1の最終生成物の化合物Pを含む医薬組成物は,ジペプチジルペプチダーゼ-IV酵素の阻害剤として,糖尿病,特に2型糖尿病のようなジペプチジルペプチダーゼ-IV酵素が関与する疾患の治療又は予防に有用であることの記載があるから,実施例1の最終生成物の化合物Pは医薬化合物であるものと認められる。
本願の優先日当時の技術常識に照らすと,刊行物1に接した当業者においては,医薬化合物である実施例1の最終生成物の化合物P(引用発明)について,医薬品原薬を恒常的に安定製造するための結晶化条件の最適化の検討を行うとともに,結晶多形の最適化のための結晶多形の探索ないし多形スクリーニングを行う動機付けがあるものと認められる。

そして,室温で安定な結晶は,冷蔵保存の必要がないため医薬品化合物として望ましいことは自明であるから,結晶多形の探索ないし多形スクリーニングに際し,結晶化温度を室温を含む温度範囲,結晶化溶媒を最も普通に使用される溶媒の一つである酢酸エチルとし,X線粉末回折を用いて結晶多形の存在及びその分析を行い,得られた結晶の中から室温での安定性が優れた結晶を選ぶことは,当業者が通常行うことであるものと認められる。
一方,本願明細書の「酢酸エチル中の化合物Iの非晶質遊離塩基の直接結晶化によって,形Iを生成した。」(【0069】),「13℃より上で最も安定な相として形Iを有する。」(【0070】)との記載に照らすと,本願明細書には,結晶化温度を室温を含む13℃より上の温度,結晶化溶媒を酢酸エチルとして,「化合物I」(化合物P)の結晶化を行うことにより,形Iの結晶質が得られることの開示があるものと認められる。
そうすると,当業者は,通常なし得る試行錯誤の範囲で,刊行物1の実施例1の最終生成物の化合物Pについて上記結晶多形の探索ないし多形スクリーニングを行うことにより,室温での安定性が優れた結晶として形Iの結晶質を得ることができたものと認められる。
以上によれば,刊行物1に接した当業者は,刊行物1及び上記技術常識に基づいて,引用発明について相違点に係る本願発明の構成(化合物Pの形Iの結晶質の構成)とすることを容易に想到することができたものと認められる。
したがって,これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。

 

2 予想できない顕著な効果についての判断の誤りについて
原告らは,①本願発明の形Iの結晶質の「13℃より上で最も安定な相」として存在するという特性は,形Iの結晶質を得て初めて判明するものであり,刊行物1から予測できない特性であり,この特性を有するのであれば晶析の際に溶媒を冷却することは控えるべきであり,このことは,結晶化プロセスにおいては重要な情報であって,当業者の予測できない有利な効果であること,②本願発明の形Iの結晶質は,上記特性により,他の結晶形に比べて吸湿性に優れるという「物理化学的特性」(すなわち,吸湿しにくい)を有し,医薬組成物の調製の際の取扱いにおいて利点を有し,このことは,本願明細書記載の熱重量分析(図2,7及び12)における形Iの結晶質の重量損失が最も少ないことが示しており,また,本願明細書に本願発明の顕著な効果について具体的な記載はなくとも,当業者であれば,安定な結晶形である形Iの結晶質が,応力に対して結晶形が転移しにくいこと(粉砕,圧縮工程等における安定性),取扱いの容易さ(製剤化における結晶形の移送性),乾燥(乾燥温度で転移しない)など非晶質形態に対して顕著な効果を有していることを認識できること,③刊行物1の実施例1の最終生成物が非晶質であることを考慮すると,本願発明の形Iの結晶質は,通常の結晶質から予測し得る範囲を超える顕著な効果を有するというべきであるから,本願発明の作用効果は格別顕著なものとはいえないとした本件審決の判断は誤りである旨主張する。
しかしながら,刊行物1の実施例1の「淡褐色の固体」(化合物P)は,結晶(結晶質)と認めるのが相当であることは,前記説示したとおりであるから,これが非晶質であることを前提とする原告らの主張は,その前提において誤りがある。
次に,本願発明の形Iの結晶質が「13℃より上で最も安定な相」として存在するという特性を有するとしても,そのことは,室温を含む13℃以上の温度で安定であることを意味するものにすぎず,格別顕著なものとはいえない。また,本願明細書には,本願発明の形Iの結晶質が「13℃より上で最も安定な相」として存在するという特性により,「処理および結晶化の容易さ,取り扱い,応力に対する安定性,計量分配の利点を有し医薬剤形の製造に好適という効果」(【0007】)を奏するとの記載はなく,これらが形Iの効果であることを認識することは困難である。
さらに,仮に本願発明の形Iの結晶質が他の結晶形に比べて「吸湿性が低い」としても,それをもって,予測し得る範囲を超える顕著な効果であるということはできない。
したがって,原告らの上記主張は,理由がない。

 

(3)コメント

①本件は、結晶形の発明に関する特許性を否定(進歩性違反)する判決ですが、当該判決は日本における最近の判断傾向に沿うものであると思います。結晶形の特許性に関して、以前は特許庁の審査実務では認められ、無効審判などの当事者系の争いになった場合に否定されることが多かったように思われますが、本件では特許庁の審査段階から否定されています。

特許庁の審査段階で特許性が否定されるようになったのは、裁判所が結晶形の特許性を否定するようになったことと、医薬品開発においては、有効成分の結晶形に着目し、適切な結晶形を見出すことは通常の創作過程で行われることであるとする文献証拠が特許庁において充実してきたからではないかと想像します。

そして、当該結晶形を見出すという行為が技術常識であれば、当該結晶形自体が技術常識から導けなくても、容易想到という判断が成り立つのでしょう。結晶形は、結局、医薬品開発において通常行われる行為によって見出される結果に過ぎないという判断であると思われます。

尤も、当該結晶形の取得方法(製造方法)自体がユニークであったり、当該結晶形自体に格別顕著な効果ないし意外な効果でもあれば、他の進歩性判断と同様に、進歩性は認められると思います。但し、そのハードルは決して低くないと思います。

②結晶形の特許性のように、医薬品開発における通常の創作行為によって見出された結果に過ぎなければ進歩性がないのであれば、医薬品の安定性のためにpHや添加剤等を検討し、また医薬品の効能効果の面から濃度や含有量等を検討し、その結果をクレームするような製剤発明や製法発明などについても、突き詰めれば特許性があるのか疑問が生じえます。即ち、医薬品開発における通常の創作行為によって見出されたものは進歩性に乏しいのであれば、周辺発明で特許されるものは少なくなるのではないかと思います。少しでも品質の高い医薬品を提供しようとするのは当然であって、医薬品メーカーの社会的使命でもありますから、あまりハードルを上げることも問題があるように思います。

③特許権は排他権ですので、先発医薬品メーカーが有効成分に係る発明の特許以外に、その周辺発明の特許を取得しようとするのは、後発医薬品の参入を阻止するためであることは明らかです。そして、その周辺発明は、医薬品開発における通常の創作行為によって見出されたものが多いように思います。そのような状況において、周辺発明の特許性をどのように見積もるのか、バランス感覚が問題になると思います。

 

以上、ご参考になれば幸いです。