2022/2/21
実施可能要件違反に関する事例
令和4年(2022年)1月19日知財高裁4部判決
令和2年(行ケ)第10122号 審決取消請求事件
原告:メジオン ファーマ カンパニー リミテッド
被告:特許庁長官
本件は、医薬の用法用量に関する発明の特許出願について、実施可能要件(特許法36条4項1号)等を有しないと判断され、拒絶査定を認容した特許庁の審決が、知財高裁においても支持された事件に関するものです。
[1]本事件の概要
(1-1)本件特許出願と経緯
本件特許出願(特願2017-504434号)は、発明の名称を「ウデナフィル組成物を用いてフォンタン患者における心筋性能を改善する方法」とする一種の医薬用途発明に関するものであって、下記請求項1の通り、特に用法用量に特徴を有するものです。
請求項1
「フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善用の医薬組成物であって,ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩を含み,該ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩の投与量が1回当り87.5mgであり,前記組成物が1日2回投与される,医薬組成物。」
上記発明に対して、担当審査官は、特許法29条1項3号の新規性欠如及び同法29条2項の進歩性欠如を理由に拒絶査定を下し、その査定に不服であるとして、本願出願人は、拒絶査定不服審判を請求したのですが(不服2019-1474号)、今度は特許法36条4項1号の実施可能要件違反及び同法36条6項1号のサポート要件違反を理由に当該審判請求は成り立たないとする請求棄却審決が下され、審判でも特許は認められませんでした。そこで、本願出願人は、その審決に不服として、知財高裁に提訴しました。
(1-2)特許庁の判断
①特許法36条4項1号の実施可能要件違反
本願発明の医薬としての用途は,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能が向上することを意味するところ,本願明細書の【0179】ないし【0182】には,実施例3として,ウデナフィルによる治療前1日目と治療後5日目に,運動負荷試験による最大努力時VO2の測定が行われ,その結果が表14並びに図2及び図3に記載されているが,表14の87.5mg1日2回欄の測定結果を参照しても,ベースライン測定と追跡調査測定で有意差があるものとは認められず,また,図2の87.5mg1日2回欄を参照しても,平均値及び中央値共に,最大努力時VO2が有意差をもって正に変化しているものとは認められない。図3には,被験者ごとのベースライン(治療前1日目)及び治療後5日目の結果が示されているが,当該記載によっても最大努力時VO2が有意差をもって正に変化しているものとは認められない。したがって,本願明細書には,当業者が,フォンタン手術を受けた患者において,ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩を,1回当り87.5mgを1日2回投与した際に,最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善することを理解することができるように記載されているとはいえない。
さらに,本願出願時において,ウデナフィルが,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善するといった技術常識が存在するものとも認められない。
そうすると,本願明細書及び出願時の技術常識を参酌しても,ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩を,1回当り87.5mgを1日2回投与することで,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善用の医薬組成物として機能することを,当業者が理解できるように記載されているものとは認められない。
②同条6項1号のサポート要件違反
本願発明は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載により当業者がその課題を解決できると認識できる範囲のものであるとは認められず,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らしその課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも認められない。
[2]裁判所の判断
裁判所は、下記のように判示し、特許庁の拒絶審決(特に実施可能要件違反の判断)を維持し、原告特許出願人の請求を棄却しました。
(1)実施可能要件の判断
特許法36条4項1号は,明細書の発明の詳細な説明の記載は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものでなければならないと定めるところ,この規定にいう「実施」とは,物の発明においては,その物を作り,使用をする行為をいうものであるから(同法2条3項1号),物の発明について実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が,その記載及び出願時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,当該発明に係る物を作り,使用をすることができる程度のものでなければならない。
そして,医薬の用途発明においては,一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,その有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に,有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されていても,それだけでは,当業者は当該医薬が実際にその用途において利用できるかどうかを予測することは困難であり,当業者が容易にその実施をすることができる程度に記載されているというためには,明細書において,当該物質が当該医薬用途に利用できることを薬理データ又はこれと同視することができる程度の事項を記載して,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,当該用途の医薬として使用できることを当業者が理解できるように記載される必要がある。
本願発明は,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善のため,シルデナフィルに比べ長い半減期を持つPDE5阻害剤の投与がフォンタン手術後に患者の有酸素運動能力の低下を防止又は改善することになるとの仮説の下に,PDE5阻害剤ウデナフィルが様々な病態に対して1日1回治療として有用であり得ることから,フォンタン患者に対してウデナフィルを特定量投与する医薬組成物としたものであり,医薬についての用途発明である。そうすると,本願発明が実施可能要件を満たすためには,本願明細書の発明の詳細な説明に,ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩の,1回当たり87.5mg,1日2回の投与により,フォンタン手術を受けた患者において,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善に使用できることが,当業者が理 解できるように記載されている必要がある。
(2)ア 本願明細書には,これに接した当業者は,本願発明は,フォンタン循環において肺血流が受動的であることから,肺血管床を通る血液をより効率的に輸送可能にできる薬剤は心拍出量を改善できることに基づき,肺血管抵抗を低下させ,心室機能を改善する薬剤であるPDE5阻害剤であるウデナフィルを,フォンタン患者に投与することとしたものであり,ウデナフィルは,シルデナフィルと比較して相対的に早い作用発現及び長時間の作用という特性をもつことを理解するものといえる。また,本願明細書に接した当業者は,本件処方は,運動耐容能の改善をもたらし得ることを理解するものといえる(なお,本願明細書では最大努力時VO2測定値が「維持」される場合と「改善」される場合を区別しており(【0078】),最大努力時VO2測定値の単なる「維持」は「改善」には含まれないことを理解するものといえる。)。
イ 本件処方が,運動耐容能の改善をもたらし得ることに関して,本願明細書には,具体例として,最大努力時VO2を主要アウトカムとした「運動負荷試験」である実施例3が記載されている(【0180】ないし【0182】,図2,図3)。
当該試験では,フォンタン患者36名を,「投与量37.5mg,1日1回」(コホート1),「投与量37.5mg,1日2回」(コホート2),「投与量87.5mg,1日1回」(コホート3),「投与量87.5mg,1日2回」(コホート4,本件処方),「投与量125mg,1日1回」(コホート5),「対照(薬剤なし)」(コホート6)の6つのコホートに分け(【0157】),投与前の最大努力時VO2(ベースライン測定)及び5日間投与後の最大努力時VO2(追跡調査測定)が測定され,試験結果は,表14,図2及び図3に記載されている。
(ア) まず,表14をみると,6コホートの,「ベースライン測定」,「追跡15 調査測定」及び変化スコアが記載されており,これらの各数値は,各コホートに属する被験者の平均値である。
本件処方であるコホート4では,ベースラインの平均値が「28.0±5.2」,追跡調査の平均値が「28.2±6.0」,変化スコアの平均値が「0.2±5.0」であり,変化スコアの平均値はベースラインの平均値に対してわずかに0.71%の増加にとどまっている。そして,これは,本願明細書の【0081】に,本願発明が最大努力時VO2を改善するものとして具体的に挙げられている数値の中で最低のものである1%にも満たないものである。
また,変化スコアの平均値「0.2」に対して,ばらつきを示す標準偏差の値「±5.0」は非常に大きな値であるし,本願明細書には「分散分析は変化スコア間に差がないことを示唆する(p=0.85)。」と記載されている(【0180】)。
これに,最大努力時VO2測定値の単なる「維持」は「改善」には含まれないことを併せ考えると,表14に示される結果からは,本件処方により運動耐容能が改善されたとか,本件処方が,他の投与量,投与回数よりも,運動耐容能の改善の点において優れていると理解することはできない。
(イ) 次に,各被験者の個別変化スコアを示す図2並びに各被験者及び各コホートの治療前後の最大努力時VO2を示す図3によると,本件処方のコホート4では,5名のうち,2名の最大努力時VO2は正に変化し,3名の最大努力時VO2は負に変化しているところ,「正の変化が改善を示す」との記載(【0181】)によれば,5名のうち2名については,最大努力時VO2が改善し,3名については,最大努力時VO2が悪化したということになる。しかし,同じくフォンタン手術を受けた患者の中で,正の変化をした者2名と,負の変化をした者3名という正反対の結果がもたらされた理由については,本願明細書には何ら記載がない。
また,図2及び図3によれば,本件処方以外のいずれのコホートにおいても,「対照(薬剤なし)」群であるコホート6を含め,最大努力時VO2が正に変化した者と負に変化した者が存在することが看取されるが,正あるいは負に変化した例数や程度と,ウデナフィルの投与量や投与回数との間に,一定の傾向や,対応関係,技術的意味があることを看取することはできない。
ウ 本願明細書には,PDE5阻害剤の,フォンタン患者における薬効の作用機序として,肺血管抵抗を低下させ,心室機能を改善すること等が記載されており,実際,シルデナフィルに関しては,フォンタン患者の運動能力を改善する重要な薬剤であることが示唆されることも記載されている(【0009】)。
しかしながら,一方で,同じPDE5阻害剤であっても,タダラフィルのように,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能が不変であった(【0012】)ものも知られているところ,本願明細書には,ウデナフィルが,PDE5阻害剤の中で,タダラフィルとは異なって,シルデナフィルと同様に,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善する作用機序は記載されていない。
また,ウデナフィルが,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善するとの技術常識があるとも認められない。
エ 以上のように,本件処方における変化スコアの平均値は小さい一方で,ばらつきを示す標準偏差が非常に大きな値であること,本件処方を受けた者,そのほかの用量・用法の処方を受けた者,ウデナフィルを投与されなかった者のそれぞれについて,最大努力時VO2が正に変化した場合と負に変化した場合があるが,その理由は明らかでないこと,本件処方においては,むしろ最大努力時VO2が悪化した者の方が多いこと,最大努力時VO2が正あるいは負に変化した例数や程度と,ウデナフィルの投与量や投与回数との間の技術的関係についても明らかでないこと,ウデナフィルが,フォンタン手術を受けた患者における最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善することの作用機序が明らかでなく,ウデナフィルが上記のような運動耐容能を改善するとの技術常識があるとも認められないことを踏まえると,コホート4において,5名中2名の最大努力時VO2が正に変化したという試験結果のみをもって,ウデナフィルの本件処方により,最大努力時VO2が改善したものであるとまで理解することはできない。
(中略)
(4)そうすると,本願発明が実施可能要件を満たさないとした本件審決の判断に誤りはない。
[3]コメント
①本件は、医薬の用法用量に係る用途発明において、特に実施可能要件の充足性が問題となった事件に関するものです。
結論的には、特許庁も裁判所も本件発明は実施可能要件等を満たさないと判断しました。特許庁は、主として、明細書の記載からは、ウデナフィルを当該量・当該回数投与した場合としなかった場合とで、有意差が見られないことをもって実施可能要件違反と認定しました。一方、裁判所は、要するに、フォンタン手術を受けた患者において,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善が見られるように記載されていないことをもって、実施可能要件違反と判断したと思われます。その判断の中には、ウデナフィルと同じPDE5阻害剤であるタダラフィルでは,当該運動耐容能が不変であることが知られていたことから、同じPDE5阻害剤であるシルデナフィルにおいて、フォンタン患者の運動能力を改善することが知られていたとしても、ウデナフィルが当該運動耐容能を改善する作用機序の記載がないことも指摘されています。
②一般に、従来の発明と用法用量のみが異なっても、現在の運用では、少なくとも新規性は認められ、その用法用量に進歩性も認められれば、他に特許要件を阻却する理由がなければ特許されます。但し、用法用量を特定のものにすることは、譬え新規であっても当業者の通常の創作能力の発揮に過ぎないということで、通常はそこに進歩性はないとされます。しかし、その用法用量に、例えば顕著な効果ないし有利な効果などが認められれば進歩性を有すると判断されます。それ故、用法用量に特許性を求めるためには、少なくとも実験結果の記載が必須となることが多いと思います。
本件の場合、実験結果の記載はあったのですが、進歩性の議論の前に、目的とする効果、即ち、フォンタン手術を受けた患者において,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善効果が認められる記載が明細書になされていないとして、実施可能要件及びサポート要件といった言わば手続的なところで特許性が否定されました。仮に、当該運動耐容能の改善効果が認められる記載が明細書にあれば、実施可能要件等は充足し、その改善効果が顕著であるかなどの進歩性有無の判断に移ることになると思いますが、審判ではその前に特許性が否定されてしまいました。
③本件のような用途発明の場合、実験結果が全くなければ実施可能要件違反等で処理し、目的とする効果がある程度示されていれば、実施可能要件等は取りあえず認めて、その効果は顕著でない、考え得る程度の効果に過ぎないとして進歩性違反で処理することが考えられます。
本件の場合、ポジティブな結果だけでなく、ネガティブな結果も示されていたようですが、この点は薬剤に対するヒトの応答は個人差がありますから当然のことで、ポジティブな結果を斟酌して当該改善効果は記載されているとし、他のPDE5阻害剤であるシルデナフィルで、フォンタン患者の運動能力を改善することも参酌して、実施可能要件等は一応認めて、ウデナフィルの当該効果は顕著とは認められないなどとして進歩性違反で処理することも考えられたかと思います。事実、審査の段階では、実施可能要件等の記載要件は問題とならず、新規性・進歩性違反で拒絶査定となっています。実施可能要件違反等は、審判の段階になって初めて拒絶理由に挙げられました。
④進歩性と実施可能要件等とは、いわゆるトレードオフの関係(進歩性あれば、実施可能要件は非充足、逆に進歩性なければ、実施可能要件は充足となる関係)に立つことがあると思います。進歩性の高い発明ほど、進歩性の観念主体である当業者よりも低いと想定される当業者が容易に実施できるよう、十分な実施例がないと実施可能要件違反が問われ、一方、進歩性の低い発明では、実施例は乏しくても、場合によってはゼロでも実施可能要件は充足するかと思われますが、逆に進歩性欠如が問われかねないからです。
実務的には、実施可能要件等の記載要件は比較的緩く判断され、進歩性有無で特許可否が判断されることが多いのではないかと思われます。進歩性を有しないと判断できるのであれば、記載要件は緩く判断されているように思います。一方、進歩性は低いと思われるものの、それを論理的に導くための決定打に欠けるときなどは、実施可能要件違反で処理することが現実的には行われているように思われます。
ある時期からサポート要件の判断が厳しくなりましたが、それは特殊パラメータ発明と言われる特許出願について、そのパラメータで表現される物自体は新規でないと思われても、そのパラメータ自体を証拠となる先行文献等から見出せないために、進歩性を有さないとの論理付けを行うことができず、結果、進歩性欠如として処理することが難しかったことが一つの要因として挙げられます。本件も一種のパラメータ発明とも言えますので、当該パラメータを先行引用文献から導いて進歩性欠如を構築することが困難であり、先行引用文献からの論理付けを必要としない手続的な実施可能要件違反で処理する方が、筋が通ると判断されたのかもしれません。
以上、ご参考になれば幸いです。